相手の「今」一番欲しい「共感のカタチ」

突然ですが。

失恋した時に、あなただったらどんな曲を聴く?

あたくしはさ、100%、「失恋を歌った曲」だな。

一方で、

恋をした時には愛や恋を歌った曲が耳心地がよい。

こんな経験が、あたくしに、あった。

別れを告げ、または告げられ、もしくは自分達の未来にお互いの存在はいないと悟った瞬間とか。

そんなことがあった帰り道はさ、

日々の何気ない電車の揺れるガタンゴトンが

やけに大きく聞こえたり、

街の雑踏に自分の身を任せるには心細くなる。

ものすごく虚無感に包まれるのよね。

そのたびに失恋ソング流してさ、曲を通して聞こえてくる「言葉って偉大やなぁ」って改めて思う。ぐさぐさ刺さる。

…さて、前置きが長くなりました。

何が言いたいかってね、これよ、これ。

「言葉」の「共感」の大事さなの。

やっぱり悲しくて切なくて心がきゅーって締まって息苦しいときに、
欲するのは元気付けとかエールとかじゃ、ないよね。

息苦しくも、空いたわずかな隙間にスッて入ってくるような、そんな静かで寄り添った一言が欲しい。

その人の「今」の状況を感じ取って、そっと寄り添える「共感」以外に勝るものなんてあるのかなって感じます。

わたくしね、大失敗したことがある。

苦しそうで、弱り果てて、疲れきった姿の大事な人に「大丈夫だよ」って笑顔で声をかけてしまったんだ。

そのとき、その人は更に顔を歪めて苦しそうにしてその場から離れていった。

その時に言われたんですよ。「あなたの明るさが私には辛い」って。

ああ、寄り添えてなかったんだ。相手の「今」を感じ取ってあげられなかったんだって、猛省した。いい歳してそんなことも自分は出来ないのかって、恥ずかしくもあった。

でも。

もう同じ過ちは、しない。

今ならそのときの相手に違った言葉を送れる。

「大丈夫だよ」じゃなくて「・・・」って。無言を贈る。その代わり、深く頷いてから、抱きしめる。それが当時の相手の「今」に必要だった言葉だったのだと思います。

相手の「今」一番欲しい「共感のカタチ」

寄り添える人間で在りたいな。

あぁ、秋の夜に綴るコラムは哀愁がムンムン漂いますな。ぜんぶ秋のせいだ!
へへ〜